スッキリていねいな暮らしがしたい
私が育った実家は、物が多い家でした。
「探し物の時間が多い → 見つからない → 新しいものを買う → そのうち出てきて同じものが複数ある」という循環が日常的に起きていました。他の家庭のことは知りませんでしたし、「そういうものなんだろう」と思っていたのですが、いつもどこか「なんか落ち着かない」という気持ちがつきまとっていたのを覚えています。
そんな経験からか、大人になるにつれて私はモノを所有することに豊かさを感じなくなりました。ブランド品を持つことや流行を追うことにも、そこまで価値を見出せなくなったのです。とはいえ若いころは、周囲に合わせてブランドバッグを買ってみたり、見栄でモノを揃えたりしたこともありました。
しかし、世の中に「ミニマリスト」という概念が出てきたころから、徐々に「私が心地よい暮らしの塩梅」がはっきりしてきたように思います。そして最近では、その価値観がより鮮明になりました。
私が理想とする「スッキリていねいな暮らし」
- 自分が本当に良いと思ったものだけに囲まれている
- 必要最低限の食材と日用品でシンプルに生活する
- モノが少なく部屋がスッキリしている
- ほどよく最新家電やガジェットを生活に取り入れる
- 不具合のあるものは放置せず、すぐに修理するか買い替える
- テレビなどのノイズ音に支配されない日常
こんな暮らしに近づけると、心地よく、穏やかな気持ちで日々を過ごせることに気づきました。
真逆の価値観との暮らし
ところが、夫の価値観は私とは真逆です。
どちらかというと「モノが溢れている昭和感」が彼にとっての心地よい暮らしのようです。
これは一緒に住み始めたころから気づいていたことです。趣向が合わないのは仕方がないし、「どちらが正しい」という問題でもありません。譲歩しながら暮らしてきました。ですが、日々囲まれているものや目に入るものが、自分にとって「心地よい」と思えない生活が続くことが、実は無意識レベルでもかなりのストレスなのではないかと、最近強く感じるようになりました。
これも私が「卒婚」を考え始めた理由の一つなのです。
残りの人生、どう過ごしたい?
仮に自分の頭で考え、自立した生活を送れるのが80歳までだとしても、まだ折り返し地点です。私の両親を見ていると、80歳を超えても自立している場合もあります。そう考えると、「まだ先が長い」という気持ちになります。
だからこそ、「仕方ない」で片付けるのではなく、自分にとって心地よい暮らしを目指したい。毎日、毎秒繰り返されることだからこそ大切にしたい、より自分らしい暮らしを作っていくことが、未来の私のためにも必要なことだと思っています。
月曜日のリセットデー
さて、今日は月曜日。
そんな未来に思いを馳せながら、週末にごちゃっとなってしまった家を片付け、新しい1週間をスッキリとした気持ちでスタートさせます。
自分にとっての「スッキリていねいな暮らし」を一歩ずつ実現するために、今日も小さなアクションから始めます。